天神祭・大川の船渡御

もう10年も前になるだろうか、当時、日本書籍出版協会の副理事長であった知人から船渡御の招待を受けて乗船したものの、なぜか当時の記憶はほとんどなく、残っていることといえば船上で花外楼の弁当を食べたことぐらいであった。
今夏、日本三大祭(東京・神田祭、京都・祇園祭)の一つである天神祭船渡御に参加することになったのは、息子夫婦と同級生の林堂佳子さん(普段、家中でよっちゃんと呼んでいる。)が拙宅に遊びにこられ、船渡御の話題が出たことがきっかけで、よっちゃんとボス弁の李義先生、息子夫婦、私共夫婦の6名で乗船することになった。
まさか、後日、何か感想文を書いてくれといわれるなどとは思いもよらず、私は、乗船中、終始ボーとしていて、しかし晴れやかな気分で楽しんだ。

水都大阪夏の行事とはいえ、約100艘が川面を行き交い、互に大阪締めで挨拶を交わし、賑やかな祭に今どき100艘も、一体、どこから集められたのか不思議に思えた。
夕刻6時はまだ暑さの残る天神橋の右岸堤から乗船し、一旦上流を溯り、毛馬近くまで行き、そこでUターンをしてもとの乗船場に下るまでの間、約2時間であった。その間、約4000発の奉納花火が打ち上げられ夜空を焦がすのは実に壮観であった。
大阪ことば事典(牧村史陽編)の引用する「摂津名所図会大成」によれば、江戸(安政)のころから戦前までは、船渡御は現在のコースではなく、難波橋より川下へ下るコースをとったようであり、「・・・天満の本社より神輿渡御ありて、難波橋より神輿二基船に移し奉り、・・・・・・数百の楼船大河を埋むが如く群集す。・・・」とある。

さて、大阪造幣局の少し下流に当る公園内から連発される花火が地面から打ち上げられる瞬間はまさに圧巻といえ、これほど近くでその瞬間を見たことはなく、驚ろきであった。
船が橋の下をくぐるたびに、橋上を見上げると鈴なりの見物客で賑わい、JR桜宮の鉄橋を渡る環状線は、乗客へのサービスか、ゆっくり、ゆっくり通過していた。
7月25日の夕刻から楽しい一時を過す機会を得たことに、乗船券をお手配下さった河村利行先生とよっちゃんに感謝申し上げて終ります。
