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石田法子会員が2014年度(平成26年度)大阪弁護士会会長に選出されました

春秋会選考委員会委員長 木村圭二郎 殿 意  見  書 2013年6月10日石  田  法  子 1.立候補を決意して 平成26年度の大阪弁護士会会長候補に推薦していただきたく立候補の届出をいたしましたので、選考にあたり意見を申し述べます。現在の大阪弁護士会の女性弁護士は約700名、全会員の17%弱です。今後ますますこの比率は高くなります。一方、弁護士会の意思決定ボードへの女性の参画は少なく、昭和15年に初めて女性弁護士が登場して以来70年余になりますが、これまで当会の女性副会長はわずか6人、会長に至ってはゼロです。人権擁護と社会正義の実現を職責とする弁護士会がいつまでもこれでいいのか。この思いが立候補を決意した理由の一つです。更に、私はこれまで大阪弁護士会及び日本弁護士連合会(以下、日弁連)の人権擁護委員会を中心に活動をし、それぞれの委員長を経験しました。弁護士業務としても、時代の課題にそって、職場での平等、東南アジアからの出稼ぎ女性労働者の救援、セクハラ・性被害事件、DV離婚事件と形は変わっても、一貫して女性の権利に関わる事件を扱ってきました。その経験の中で、全国の多数の会員や市民の多様な人権活動を見ることができました。また、国民の格差は広がる一方で、かつて弁護士会が人権と平和の視点から全会あげて反対し廃案となった秘密保全法、マイナンバー法案の復活の動き、憲法改正・国防軍の創設の浮上等の問題も出ています。法律家として、市民にその内容についての情報をきちんと伝えていく責務もあります。大阪弁護士会会長は同時に日弁連の副会長でもあり、人権の視点を持つ立場で、弁護士会の人権活動を支えたい、それが立候補の二つ目の理由です。更に、司法の世界に目を転じれば、法曹三者の一翼である弁護士そして弁護士会を取り巻く環境は大変厳しくなっています。急激な司法試験合格者増員の一方で、弁護士の職域拡大は進まず、訴訟事件数も減少しています。未登録、即独、ノキ弁の新人が、大阪でも少なくありません。また、近時の預かり金の横領等の不祥事の頻発は、かつて市民が弁護士に抱いていた信頼を大きく損っています。このまま手をこまねいていては、会の内外から弁護士自治が揺らぎ、司法の屋台骨が揺らぎます。これまで法曹三者が協力して後進を育成してきた司法修習制度の将来にも危惧があります。私は、いろんな問題はありつつもこの司法の世界、そして誰に臆することなく行動でき、困っている人を支えることができる弁護士の仕事が好きです。その世界を変容させてはいけない、そのために全力を尽くしたいという思い、それが立候補を決意した三つ目の理由です。 2.会長として何をしたいか、何をなすべきか (1) 人権基盤の確立と推進日弁連の人権擁護委員会委員長として、「人権のための行動宣言2009」の作成に関わりました。この宣言は、日弁連の人権活動の到達点と今後の目標を掲げるものです。日弁連の各人権関連委員会は、それぞれ活発な活動をしているものの各委員会の横の連携が十分ではありません。そこで、横の連携を強くして、人権総体としての力を強めるため、また宣言実行の検証機関として、毎年人権大会の時期に人権関連委員長会議が開催されるようになりました。今後も、日弁連の人権活動の基盤を盤石なものとし、更に推進していきます。個々の人権課題については割愛しますが、震災復興、刑事司法、貧困、労働、環境保全、消費者、高齢者・障害者、子ども、外国人、女性等々の諸課題は、各委員会の取り組みを尊重して、推進します。 (2) 急激な増員を抑える私は、増員に反対するものではありませんが、これまでのような急激な増員は余りにも弊害が大きすぎます。社会のニーズを見ながら適正数の増員であるべきです。もっとも、日弁連だけで法曹人口数が決定できるわけではないので、信頼できる司法のために、信頼できる法曹を育成する必要があるということを、幅広い市民が理解し共感を得るために何をすればいいのかを考え、また優秀な若者が魅力的な職業として法曹を目指せる環境づくりとして、給費制の復活も含めた経済支援の実現等に取り組みたいと思っています。 (3) 今、困っている若手の支援大阪弁護士会はこれまでも積極的に若手支援に取り組み、会費の減額、即独・ノキ弁へのOJTのサポート等々、その成果を上げています。しかし、若手といっても、それぞれ置かれた立場が異なり、その要求は様々で、ひとくくりにはできません。まずは今一番支援を必要としている即独、早期独立者、ノキ弁等に必要な支援、とりわけOJTの機会を手厚くしたいと考えています。 (4) 若手の意見と力を会務に取り入れるいずれにせよ、支援の具体的内容については、当事者目線で見て必要なものでなければいけないので、例えば5年目までの若手弁護士だけで構成される若手委員会またはプロジェクトチームを設置し、自由な意見や若手弁護士のニーズに合ったアイディアや企画を実施して貰いたいと考えています。 (5) 業務の拡大と専門性既にかなりの弁護士人口が増えているのですから、職域拡大は重要なテーマです。とりわけ、これから独立開業を考える層には、喫緊の課題です。この問題については、これまでの役員も熱心に取り組まれてきました。種をまいたばかりのもの、双葉が出たものと様々ですが、一層の推進が必要です。行政との連携、中小企業の支援、他団体との接点を作り、新規分野を広げ、深め、弁護士業務の範囲を更に押し広げることはもちろんのこととして、かつて弁護士が担ってきた業務に今隣接士業が参入してこようとしています。業際問題、弁護士の業務の確保という点だけではなく、それで果たして、市民に良質の法的サービスを提供できているのか、弁護士としてもっと良質のサービスを提供できるという自負を持って守っていくことも必要です。市民からは、高い専門性からのアドバイスを求められています。国際化の中で外国に進出する企業のサポート、また日本国内の外国人の諸問題、難民申請のサポート、ハーグ条約の締結に伴う手続き、渉外離婚等々に弁護士が関与する機会も増えています。従来の専門研修に加えて、新たな分野の幅広い専門研修も必要でしょう。法律相談センターの委員長の経験から、センターを職域拡大のツールとして展開させていくこと、例えば、市民の法的サービスへのアクセスを容易にするために、新機軸の発想で業務拡大にむけての改革に取り組めないかと考えています。ネット相談については既に検討中と聞いていますが、さらなる発展はないか、これも幅広い層から聞いてみたいものです。 (6) 会財政と機構改革大阪弁護士会は、平成24年度決算は赤字を免れたものの、赤字予算が続いています。収入の殆どは会費です。現在は登録4年目までの会員、病気、産休・育休など会員に対する支援を要する会員への減額や免除措置がありますが、今後も更に減額や免除措置を要する会員の拡大もありえますので、会員数が増えたとしても収入の大幅な増加は期待できません。また、高額の会費の負担が重いという声も聞きます。会財政を健全化するには、支出の削減しかなく、その見直しが必要ですが、その中では人件費等管理費が大きな割合を占めていますが、残業代等を含めた人件費を抑える為には、弁護士会の機構を改革して、効率の良い運営に努めることが避けて通れない問題です。 (7) 不祥事対策何よりもまず予防です。不祥事はある程度のパターン化ができ、それぞれに即したきめ細やかな対策を立てること、その他倫理研修の強化、会員サポートシステム、カウンセラーへの相談、市民窓口の情報の共有等々、既に会として着手しているものの充実に加えて、不祥事を防ぐ、あるいは小さな芽のうちに抑止する対策を考えていきたいと思います。また、残念ながら発生した不祥事に対しては、弁護士会として迅速かつ厳正な対処をするほかありません。 (8) 広報ここ数年の年間広報予算は、2000~6000万円です。総合法律相談センター運営委員会のアンケート結果では、センターの認知媒体は、インターネット、自治体、行政、その他団体、裁判所、チラシ・パンフでした。多額の費用を要したマスコミの利用は殆ど効果はありませんでした。今後は、ホームページ、facebook等をもっと積極利用をし、多くの人が見たいと思う充実した内容にすることが必要です。また、弁護士が、法廷活動だけでなく、法律相談、契約書の作成等によって紛争を事前に予防する業務等も多いこと、困ったときはいつでも気軽に相談できる身近な存在である事をアピールするなどのポイントを絞った広報にする工夫が必要です。広報のポイントは、知らせたいことを絞って、効果的な手段で行う、これにつきます。 (9) 会内合意大阪弁護士会の会員は4000人を超えました。半数近くは5,60期代 です。会派に属しない会員も増えています。仕事に追われて、委員会活動に参加できない、また会務に関心が無い会員も増えています。しかし、弁護士を巡る状況が大変な今こそ、1人1人の弁護士が、傍観者でなく、当事者として、自分の頭で、その打開のために何をすればいいかを考え、意見を戦わせ、総力を以て、前向きに対策を考えて、この危機を乗り越えていかねばならないと思います。とりわけ、いまや会員の半数を占める若手に、真剣に弁護士と弁護士会の5年先、10年先、20年先を考えてほしいと願っています。意見が出し合える弁護士会にしていきたいと思っています。 3.経歴等 (1) 昭和23年生。昭和47年京都大学法学部卒業。昭和51年大阪弁護士会に登録(28期)、なにわ共同法律事務所に入所。昭和56年独立し、個人事務所を開設。昭和63年同期との共同事務所を開設。平成12年ライオン橋法律事務所を開設し、現在に至る(現在弁護士4名) (2) 活動歴【大阪弁護士会】平成9年 人権擁護委員会委員長平成13年 副会長平成23,24年 総合法律相談センター運営委員会委員長平成25年    司法修習委員会委員長【日弁連】平成13年 理事平成14年    憲法特別委員会副委員長平成20,21年 人権擁護委員会委員長平成22年    常務理事平成25年    司法修習委員会副委員長【公職歴】民事調停委員 法務局人権擁護委員 大阪府特別職報酬等審議会委員大阪市精神保健福祉審議会委員 大阪市児童虐待防止プロジェクト委員大阪市人権施策推進審議会会長 法務省難民審査参与員 厚労省年金記録確認第三者委員会等
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森下弘会員が2014年度(平成26年度)大阪弁護士会副会長に選出されました

副会長としての抱負― 会長を支えることが私の最大の政策である ー 1 大弁における会長制と副会長の役割 私は、大阪弁護士会(以下、「大弁」という)の副会長に求められる役割は、忠犬ハチ公のように、主人である会長に忠実で、独自の政策は持つべきではなく、会長の政策をしゃにむに実現していくことだと考えている。ところで、大弁における執行部体制は、会則上によれば、例えて言うと、会長を大統領とし、副会長は報道官(スポークスマン)でしかなく、内閣制の閣僚のように、内閣総理大臣といえども他の大臣が一人でも反対すると閣議決定ができず、その場合には、当該大臣を罷免しなければならないという合議制にはなっていない。要するに、副会長は、大統領たる会長を補佐する執事でしかないのである。しかし、現実的には、副会長は、各会派から選出され、正副会長会議など、内閣制と同様に、合議によって政策や施策が決定されてはいくが、少なくとも、私は、石田会長候補の下での春秋会の副会長候補として、従順に石田会長候補を支えていくのが、副会長としての政策だと考えている。従って、私自身には政策はなく、むしろ、政策は会長が打ち立てるべきもので、大弁の副会長たる者は、政策を持ってはいけないと考えている。殊に、春秋会は政策団体として、その政策実現のために理事者を擁立するのであるから、会長が政策を打ち出していることは、すなわち春秋会の政策であり、屋上屋を架するように、副会長候補者としての私が、政策を「打ち出す」ことはあってはならないはずである。ところで、私自身、このような「副」には人格的にも適任のようで、自分の人生も、「副」を歴任してきたという歴史がある。生徒会の副会長(会長選挙には出たが、見事落選した)、法律相談部の副部長(しかし、実際には、私が部長格であった)、スキー同好会の副会長格(設立当初で、会長しか役職がなかった)等々、「副」の歴任には枚挙に暇がない。それも、私が次男という生い立ちによるものかもしれない。 2 立候補に至る経緯について ところで、私の生まれは播州(赤穂)で、播州播磨の人間(播州人)は、とかく自主性がない。要するに、播州人は、「自分には用がないのに、人が『〇〇に行く』と言えば、付和雷同型で付いていく」という性向がある。自分の人生を振り返ってみても、人の反対を押し退けて自我を貫いたという例がない。私が弁護士になったのも、尊敬していた小学校(6年)の担任の先生が「お前は話が上手いから、弁護士になったらどうか」と言われたからである。このときに、先生が「お前は話が上手いから、落語家になったらどうか」と言われていれば、落語家になっていたかもしれないほどである。また、弁護士を志したのも、「医者か弁護士か」という「でもしか弁護士」程度の動機でしかなかった。私の弁護士人生を決定付けた青法協への入会も、同期の岩田研二郎さんに「たぶらかされた」結果でしかない。法科大学院の教授も、知己の研究者から放たれた白羽の矢に当たっただけのことだった。ことほど左様に、播州人を地でいく私に、「副会長候補者がおらへんねん。森下さん、なってくれへん?」と唆した人がいた。それが、今年の3月の出来事だった。しかし、その当時は、私が所長を務めていた弁護士法人大阪パブリック法律事務所(以下、「大パブ」という)の後任所長の人選は難航に難航を重ね、遂に、私も「そんなに所長の引き受け手がないような事務所であれば、例え社会的意義が絶大だとしても、存続できなければ仕方がない。自分の代で幕を引く」と、絶叫していた時期であった。しかも、週に2日は法科大学院での授業を担当していたため、常勤である大弁の副会長を引き受けることは、物理的にも不可能だった。というよりも、そもそもは、法科大学院の教員をしていたことで、大弁の副会長を引き受けることが物理的に不可能だったことから、山田会長・岩田副会長の執行部体制のときに、「森下君、それならば、大パブの所長を引き受けることはできるだろう」と言われて、二代目所長になったという経緯があった位である。従って、今年の3月の時点では、まさか副会長に立候補ができるなどとは露だにも思っておらず、キッパリとお断りをさせていただいた。しかし、幸いにして、大パブの所長には、初代所長の下村忠利弁護士(以下、「下村弁護士」という)がカムバックをしていただけることとなり、一旦お断りした副会長への就任へも光明を見出すことができるようになった。それからは、電光石火の早業で、法科大学院へは来期以降の辞意を表明し、来年度の私の事務所の留守居役としてのイソ弁さんを確保し、平成25年6月17日付けをもって大パブの所長を辞任し、同年7月1日付けで新事務所(森下総合法律事務所)への移転を行ない、ぎりぎりセーフで、同年7月4日からの副会長候補者への届出期間内に立候補届出が間に合ったという、綱渡り的な立候補の経緯を辿ることとなった。 3 立候補の動機について 私は、そうはいっても、元から大弁の理事者になる志を抱いてはいた。なぜなら、自分自身の考えを大弁で実現したかったからである。しかし、平成14年初め頃には、法科大学院の設立が規定路線となり、その設立準備のために法科大学院のみなし教員としての招聘を受け、平成14年4月から、当時は立命館大学法学部の特別契約教授として、法科大学院で用いる教材造りや授業構想を練ることとなった。その時点で、理事者への道は閉ざされた。なぜなら、法科大学院の授業を受け持つ限り、常勤の理事者には、物理的支障が生じるので、就任できようもなかったからである。爾来10年の歳月が経過し、当初に理事者になることを目指したときの志や情勢と、今の情勢は質的に変容を遂げたと言っても過言ではない。一言で言えば、10年前には司法改革が声高らかに唱えられ、私もその方向性には積極的に賛成であったが、今や司法改革に対する熱望は冷め、むしろ、「司法改革」と銘打った制度改正は失敗に終わったのではないかという疑問を呈する人が少なくないという状況にある。そのような情勢のなかで、大弁の初代女性会長となるべき石田法子さん(以下、「石田さん」という)が立候補を表明され、大弁会長は当然に日本弁護士連合会(以下、「日弁」という)の副会長となるので、大弁会長の活動の中心は日弁副会長としての活躍が期待されることから、いわば国家老とでもいうべき大弁の留守居役が必要となった。殊に、男女共同参画の推進・実現は、石田さんが掲げる最重要課題であり、そのためには、石田さんが日弁の中で先導的役割を果たさない限り、その実現はあり得ない。そのためには、同じ春秋会から、石田さんが気の置けない人が副会長になる必要がある。 4 弁護士としての活動歴 私の弁護士活動歴についていうと、一時期には、「自分の人権を守るようでは、人の人権は守れない」という激烈な言葉を吐くようになってはいたが、当初から人権擁護活動を志していたわけではない。もっとも、石田さんの掲げる男女平等参画を実現するためには、様々な条件の違いや格差を抱えている多様な人たちが「共生できる」社会を実現すべきであり、その意味では、私自身の意識も変化させなければならないのかもしれない。しかし、いずれにせよ、弁護士を志した動機は、前述のとおり、「医者か弁護士か」という単純な名誉欲でしかなく、私の運命を変えたといって良い「青法協との出会い」がなければ、「金儲け主義」の平凡な弁護士稼業を営んでいたはずである。そもそも、大学や受験時代に「人権擁護」という言葉を教えて貰ったことはなかったし、むしろ、そのような活動は司法試験合格にとって「百害あって一利なし」だと思っていた。しかし、青法協に入会し、そこで初めて人権擁護に目覚め、これまでの間に、大阪じん肺弁護団、京都水俣訴訟(第3次)弁護団、沖縄嘉手納米軍基地爆音差止等訴訟弁護団などの公害弁護団の一員として、また、駆け出しの頃には、民主法律協会の一員として労働者側の労働事件にも携わってきた。さらには、新規登録時に所属させていただいた大阪共同法律事務所では、刑事事件と巡り合い、今では法科大学院で刑事法の教鞭をとるまでになった。振り替えれば、私たちの旧司法試験時代は片訴選択(民訴法か刑訴法かのどちらか片方の訴訟法を選択すれば足りた)で、大学も民事訴訟法ゼミであり、司法試験も民訴選択だった。それで、当然のごとくに刑訴法の勉強はしておらず、私は未だに刑訴法の基本書を通読したことがないというのが、自慢のような恥のような状況にある。それでも、大阪府警大淀警察署の取調べ室の床面にルミノール反応(血痕反応)の検証・鑑定を行なうという証拠保全を敢行して、原告(暴行を受けて負傷した元被疑者)が途中で行方不明になったのにもかかわらず、暴行・負傷による国賠請求(最高裁で確定)を勝ち取ることができた。また、三上孝孜弁護士と一緒に付審判請求事件の検察官役弁護士を務め、暴行を振るって被害者の少年に怪我を負わせた警察官たる被告人を、最高裁までいって有罪判決を確定させるという希少な経験もさせてもらった。さらには、山之内幸夫弁護士の恐喝未遂事件の弁護団の一員として、無罪判決を得ることもできた。どうやら、私には、足で稼ぐ短期決戦型の刑事事件が性に合っているらしく、大阪弁護士会の刑事弁護委員長や、近畿弁護士会連合会の初代刑事弁護委員長(それまでは、刑事弁護連絡協議会という形でしかなく、委員会に昇格したのは、私の代になってからであった)や、日弁連の刑事弁護センターの副委員長など、刑事弁護畑をひたすらに歩むこととなり、現在に至っている。 5 若手の養成と支援 しかし、副会長の職責上、独自の政策を持つべきではないとはいえ、私にも、やりたいことは山ほどある。特に、若手の養成と支援は喫緊の課題だと考えている。思えば、大パブの所長を引き受けたのも、刑事弁護の拠点としての都市型公設事務所としての役割が重要であるだけではなく、弁護士過疎地に赴任される若手弁護士を育成するという役割が与えられていたからである。というよりも、弁護士過疎地に赴任する弁護士はオールラウンドプレーヤーでなければならず、刑事事件ができても民事事件はできないということでは務まらない。まさしく民事弁護強化のために大パブへ副所長格(当時の所長は下村弁護士)としてスカウトされたというのが実態であった。幸いにして、初代下村所長時代も含めて11名(法テラスのスタッフ弁護士8名、ひまわり基金法律事務所への派遣弁護士3名)もの若手弁護士を弁護士過疎地へ派遣することができた。また、法科大学院へ行こうと考えたのも、文科省の構想にきな臭いものを感じたからでもあった。さらには、大阪名物の修習生の刑事弁護ゼミの創設・発展にも寄与してきたという自負がある。しかし、大量増員時代を迎え、即独や軒弁という言葉が造り出されるほどに、生計を立てることにあくせくするばかりで、人権擁護活動ができる余裕が持てないという状況が生じようとしている。また、給費制の廃止によって、修習に専念することにも困難な状況に陥っている。戊辰戦争後の長岡藩における小林虎三郎の「米百俵」(注)の例えのように、苦境にたったときにこそ、後輩の育成には心血を注がなければならないと考えている。 (注) 戊辰戦争で、長岡藩は軍事総督の河井継之助の指揮のもとに新政府軍と戦ったために、長岡の城下町は焼け野原となり、石高も約3分の1に減らされて、食べるものにも事欠く苦境に陥ったが、他藩から見舞いに貰った米百俵を、文武総督の小林虎三郎(佐久間象山の門下生)が創設した国漢学校の資金に注ぎ込み、この国漢学校は後世になって著名人を輩出した。 また、私(33期)は既に数え年で還暦を迎え、平成25年には初孫もできた「お爺ちゃん」である。先祖返りというか、時代錯誤というか、副会長の輩出世代は40期台に移っている。ところが、脂の乗りきった40歳台の中堅弁護士が理事者になることが困難な時代になってきつつある。その理由は、やはり『常勤でなければならない』ことに一つの原因を求めざるを得ない。そうだとすれば、中堅弁護士が会務活動に参画できるようなシステムを構築していく必要があるのではなかろうか。 6 まとめに代えて ただ、私の人生観は、「お椀の舟に箸の櫂」の一寸法師に求められる。もっとも、一寸法師よりも私が劣るのは、流れに逆らって都まで上りつめることはできず、ひたすら流れに身を委ねざるを得ない点である。もっとも、岐路に立ったときには、必死で櫂を漕いで、とりあえず左右の選択は自らの意思で決定したいとは思っている。それだけに、「何になりたいか」「何をしたいか」という発想ではなく、「(与えられたものについて)何をしなければならないか」「何をすれば良くなるか」という受け身的な発想しか出てこない。その意味では、石田会長(候補)の下での副会長として、「大弁の留守居役を果たさなければならない」「男女共同参画の方向性を押し進めるためには、石田さんが後顧の憂いなく日弁で活躍できるようにしなければならない」「若手のために、どのような支援策が有効か」という姿勢で、副会長の職責を果たして行きたいと考えている。どうか、私に、ご支援と叱咤激励を、是非共によろしくお願いを申し上げて、副会長への立候補の抱負のまとめに代えさせていただきたい。 以上

春秋会平成25年度12月総会開催のご報告

平成25年12月16日(月)18時から、弁護士会館2階ホールで春秋会12月総会が開催されました。(昨年度下半期総会での会則変更により、定時総会は9月、12月、3月の3回となっています。) 今回は、2階大ホールの半分が総会会場となりましたが、石田法子会員、森下弘会員を次年度大阪弁護士会の会長及び副会長として春秋会から送り出すための決議を行う総会として、広い会場をほぼ埋め尽くす勢いで、延べ101名の会員に出席いただきました。 議事進行は以下のとおりです。 【報告事項】1 大阪弁護士会理事者挨拶・会務報告   大阪弁護士会副会長 吉田之計会員 【決議事項】1 大阪弁護士会次年度会長推薦候補者の選任の件選考委員会委員長・幹事長木村圭二郎会員から、選考委員会での審議の結果、次年度大阪弁護士会会長の推薦候補者として、石田法子会員(28期)を選考したとの報告がありました。これを受け、推薦候補者の石田会員が次年度大阪弁護士会会長就任に向けた抱負を述べられました。女性の役員がいてあたりまえの弁護士会を実現したいと考えて立候補に至った、やるからにはやる、との力強い宣言がありました。続いて、丹羽雅雄会員、小橋るり会員から、それぞれ推薦の弁が述べられました。その後、議長が議場に諮ったところ、委任状出席者も含め圧倒的賛成多数で石田法子会員が大阪弁護弁護士会次年度会長推薦候補者として選任されました。 2 大阪弁護士会次年度副会長推薦候補者の選任選考委員会委員長・幹事長木村圭二郎会員から、選考委員会での審議の結果、次年度大阪弁護士会副会長の推薦候補者として、森下弘会員(33期)を選考したとの報告がありました。これを受け、推薦候補者の森下会員が、次年度大阪弁護士会副会長就任に向け、石田会員の留守をしっかり守り、援護射撃をしていきたいとの抱負を述べられました。続いて、岩田研二郎会員、乗井弥生会員から、それぞれ推薦の弁が延べられました。その後、議長が議場に諮ったところ、委任状出席者も含め圧倒的賛成多数で森下弘会員が大阪弁護弁護士会次年度副会長推薦候補者として選任されました。 3 春秋会次年度幹事長の選任幹事長木村圭二郎会員から、幹事会での審議を踏まえ、次年度春秋会幹事長として、山西美明会員(40期)を選任したいとの説明がありました。これを受け、候補者の山西会員が、次年度春秋会会長就任に向け、春秋会として石田執行部をしっかり支えていきたいとの抱負を述べられました。その後、議長が議場に諮ったところ、委任状出席者も含め圧倒的賛成多数で山西美明会員が次年度春秋会幹事長として選任されました。 総会後、会場を移して懇親会が行われましたが、述べ54名に出席いただき、多数の出席者から、石田会員、森下会員への激励の言葉を頂戴しました。
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春秋会主催研修 田原睦夫元最高裁判事による 「最高裁から見た弁護士 ~ あるべき上告審の訴訟活動のために ~」 のお知らせ

春   秋   会  幹事長  木村 圭二郎春秋会研修委員会 委員長  川 上   良 開催日時平成25年9月26日(木)午後6時~午後8時開催場所大阪弁護士会館2階 201・202号室 皆様ご存じのとおり、約6年半の間、最高裁判事を務められ、本年4月に退官された田原睦夫会員が、この度大阪弁護士会に復帰されました。そこで、田原会員より、最高裁での経験や、最高裁の側から見た弁護士の弁護人・代理人活動への率直なご指摘(あるいは裏話など)を伺うことで、最高裁の役割やそこにおける弁護人・代理人の上告審での訴訟活動のあり方について理解を深めたいと思い、本研修を企画いたしました。判断権者の見方を知ることで、上告審での訴訟活動のコツやどのような弁論をすべきかが見えてくるものと思います。退官後間もないこの時期の、本講演でしか聞くことのできないお話も多数あるはずです。 またとない大変貴重な機会と存じますので、皆様ぜひふるってご参加ください。参加ご希望の方は、申込書をFAX送信お願いいたします。詳しい案内と申込方法については、こちらのWordファイルをご覧ください。
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春秋会主催研修 「離婚事件」 あなたのお悩みにお答えします! ここでしか聞けない離婚事件のノウハウ・小技 のお知らせ

春   秋   会  幹事長  木村 圭二郎春秋会研修委員会 委員長  川 上   良 開催日時平成25年8月6日 (火)午後6時~8時30分開催場所大阪弁護士会館2階 201・202号室 これから離婚事件に初めて取り組む若手会員の皆様、不安に思っていることはありませんか?日々離婚事件にかかわっている会員の皆様、離婚事件についてお悩みではないですか?春秋会研修委員会では、そんな悩める会員の皆様に向けて、経験豊富な諸先輩方の「離婚事件」お悩み相談室を公開で開催しよう!と企画いたしました。今回皆様のお悩みにお答えいただく講師(パネリスト・コーディネーター)としてご登壇いただくのは、いずれも離婚事件で豊富な経験を持つ4名の弁護士です。ここでしか聞けない離婚事件のノウハウ・小技を伝授いただきましょう。 【パネリスト・プロフィール】・ 石田法子弁護士(28期・春秋会会員)弁護士登録37年目。近年は、シェルターからのご紹介で妻側でのDV離婚事件を扱うことが多いですが、男性側の受任も拒みません。・ 乘井弥生弁護士(47期・春秋会会員)現在、手持ちの受任事件の8割を離婚事件が占めています。家族の問題、男女の問題は、奥が深く、やりがいがあります。・ 渋谷元宏弁護士(52期)大阪弁護士会男女共同参画推進本部・事務局次長、大阪府・男女共同参画審議会 委員[著書] 「親権・監護権をめぐる法律と実務」(清文社)など 【コーディネーター・プロフィール】・ 飯島奈絵弁護士(46期・春秋会会員)米国の一部の州には、養育費滞納者の運転免許を停止する制度があります。親権争い、養育費等、子供のからむ離婚事件には特に力が入ります。 参加ご希望の方は、下記の申込書をFAX送信お願いします。なお、この企画は、初めて離婚事件に取り組む若手会員から、困難な事案につきあたって悩んでいるであろうベテランの会員まで、広く参加いただけるよう企画しております。離婚事件を巡るご質問、お悩みがありましたら、ぜひ参加希望申込書の「何でもお悩み相談室」欄にご記入ください。当日は、いただきましたご質問・お悩みをお題に、進行できればと考えております。事前準備がありますため、ご質問、お悩みは、7月19日(金)までにいただきますようお願いいたします。 詳しい案内と申込方法については、こちらのWordファイルをご覧ください。
こちらをクリック → 春秋会離婚研修-(-35KB-Word-)
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大阪弁護士会会長推薦候補者の選考結果について

春秋会選考委員会委員長 木 村 圭 二 郎  2014(平成26)年度の大阪弁護士会会長候補者を推薦することの可否等の手続に関し、推薦届出期間内に石田法子会員(28期)から届出があり、書面投票を実施したところ、有効書面投票数の全てが、同会員を2014(平成26)年度の大阪弁護士会会長候補者として推薦することを可とする内容でした。 そこで、春秋会選考委員会は、石田法子会員(28期)を選考し、本年12月開催の春秋会総会において、2014(平成26)年度大阪弁護士会会長に推薦することと致しました。

研修報告 (生活保護の実務)

5月16日、平成25年度春秋会研修委員会第1弾の企画は「生活保護の実務」と題して開催しました。”生活保護”という言葉をマスメディアで見ない日、聞かない日はないぐらい、”生活保護”に対する関心が高まり、法律問題を処理するうえで思いもせず、”生活保護”という制度が出てくる機会が以前より増えているように感じます。 研修会では、出版予定のQ&A執筆者より、生活保護の基礎に加え、民事事件や家事件と生活保護、刑事事件と生活保護といった事件に応じた横断的な視点で生活保護を捉える狙いがありました。時間と準備不足から、本当にエッセンスだけを伝える程度の内容にしかなりませんでしたが、是非とも今秋(?)に出版されるQ&Aを手にとって頂きたいと思います。 とくに康由美弁護士からは、Q&Aには掲載予定のない、多くの刑事弁護人が悩んでいるであろう、情状と生活保護、執行猶予後の支援としての生活保護等といった議論があり、制度の間の問題が浮き彫りとされ、国選弁護人による法テラス自主事業の活用の是非、といった問題と併せて、問題提起を頂いたように思います。 この間、生活保護の基準を引き下げた予算が成立し、本年8月から保護費の減額が実施されようとしていますし、また、申請を要式行為化しようとする法の変更案まで出てきている状況です(この結果によっては出版原稿が大幅修正を余儀なくされる可能性も・・・)。いずれも原因の解決を目指すものではないので、当面、過酷な貧困問題が生起することが考えられます。 貧困は見えにくいのです。この原稿を書いている折、弁護士会館から目と鼻の先にあるマンション一室で、DV被害から避難されていた母子が遺体となって発見されました。報道によると餓死の疑いがあるそうです。この母子を生活保護に繋げることができなかったのはなぜか?を考えています。生きたいと強く願っての避難です。避難先居宅をなんとか確保できる知人らの支援もお持ちでした。きっと保健福祉センターなどの行政機関、弁護士会館などに情報を求めて彷徨っておられたのではないでしょうか。これ以上借金できない状態だったのかもしれません。弁護士会が出会い得た方だったように思えてなりません。そんなとき、弁護士も生活保護のことを知り、困窮している方の不安を取り除いてアドバイスできるように準備しておきたいと思います。 たとえば、住民票の異動は生活保護を利用する上で必ずしも必要ありません。DV事案であることをきちんと伝えることにより、福祉事務所から扶養照会がなされることにより、加害配偶者に居場所を知られる事態も防止できます。すでに帰来可能性のない避難であったことからすると、加害配偶者との世帯を同一とみることが適当ではないケースとして、決して十分ではないにしても命を繋ぐための生活を確保できたはずです。時々かもしれませんが、子どもにおいしいものも食べさせてあげることもできたはずです。生活保護に対するネガティブな情報が伝わっていたのでしょうか?少なくとも私たちにこの母子が見えていませんでした。間接的ではありますが、母子が抱えた貧困をきちんと発見することができる下地作りとして、今後もこうした研修を続けていきたいと思います。

春秋の日   ~木内新最高裁判事・山西副会長・丹羽幹事長を囲んで~   (平成25年4月15日開催)

平成25年度の第1回目の春秋の日が、4月15日、ANAクラウンプラザ大阪にて開催されました。今回の春秋の日は、平成25年4月25日付で最高裁判事に任命されました木内道祥先生を激励するとともに、昨年度大阪弁護士会副会長の山西美明先生、昨年度春秋会幹事長の丹羽雅雄先生の労をねぎらう趣旨で催されました。ご多忙にもかかわらず、総勢約50名もの先生方にご参加いただきました。 冒頭、宮崎誠先生による木内先生への激励を兼ねた乾杯のご発声を頂き、続いて木内先生にご挨拶を頂きました。認証式を終えるまで抱負は話せないとのことでしたが、全力で事件に取り組むとの熱い意気込みを語って頂きました。そして、木内先生の推薦人である久保井一匡先生から、弁護士出身の最高裁判事が司法を動かしている、頑張って欲しい、と力強いお言葉を頂きました。 次に、山西先生、丹羽先生に、それぞれ退任のご挨拶を頂きました。 山西先生には、この1年間を振り返って取り組まれた活動の概要とともに、広報の重要性、実演型研修の義務化に向けた意気込みなどを語って頂きました。広報でのリスナーからの反応や、実演型研修で目からうろこが出た体験談などがとても印象的でした。また、丹羽先生からは、今の社会は弱い人への思いやりや寄り添いが希薄になっているとのご指摘を頂き、弁護士の役割についてお話頂きました。若い人が夢や希望を持つことのできる社会をつくるというフレーズが心に響きました。 その後、会場にお越し頂きました先生方から、木内先生を力づけるとともに、山西先生、丹羽先生の労をねぎらうスピーチを多く頂戴しました。紙面の都合上、全てをご紹介させていただくことはできませんが、上原洋允先生、山下潔先生、青木永光先生、平栗勲先生、森下弘先生、石田法子先生、国府泰道先生、山口健一先生、中井康之先生(順不同)と、幅広い期の先生方がスピーチをしてくださいました。 また、本年度大阪弁護士会副会長の吉田之計先生、本年度春秋会幹事長の木村圭二郎先生からもご挨拶を頂き、木内先生、山西先生、丹羽先生へのスピーチとともに、本年度春秋会副幹事長の先生方のご紹介を頂きました。 最後に、木内先生には激励の意を込めて、山西先生、丹羽先生には感謝の意を込めて花束を贈らせていただき、盛大な拍手のもと、お開きとなりました。 あっという間に閉会の時間となりましたが、最後までの最後まで、各先生方から、木内先生、山西先生、丹羽先生へのスピーチが尽きることはありませんでした。今回、木内先生、山西先生、丹羽先生をはじめ、本当に多くの先生方から、貴重なお話を伺うことができ、大変充実した春秋の日であったと感じております。ありがとうございました。 木内先生、最高裁でのご活躍を心からお祈りしております。
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スキー旅行のご報告

平成25年2月22日から24日にかけて蔵王温泉スキー場に行って参りました。参加者は三上先生、森下先生、今村先生、市瀬先生と弟さん、高江先生、白倉先生と私の男ばかりの総勢8名でした。参加者は例年もう少し多かったのですが、今年は直前でキャンセルをした方もいて、ここ数年で一番少ない参加者となってしまいました。 蔵王温泉スキー場は一昨年から3年連続となりました。毎年ホテルを変えていますが、今年は、「タカミヤビレッジホテル樹林」というけっこう古いホテルに宿泊しました。温泉自体はよかったと思うのですが、参加者からは脱衣所が狭くて、洗い場も狭くて寒いという苦情が出たので、来年以降に蔵王温泉スキー場に行くことがあっても別のホテルになる見込みです。  蔵王温泉スキー場までは伊丹空港から午前8時15分発仙台空港行きの便に乗って仙台空港に飛び、そこからバスに乗りました。早めの便でしたが、誰も遅刻することなく、無事に出発、バスも順調に進行し、午前11時30分頃には現地に到着しました。現地の天候は、予報だと悪天候ということでしたが、曇りだったものの風も強くなく、まずまずの天候でした。去年は快晴を体験するという非常に天候に恵まれましたが、毎年そんなわけに行かないのが蔵王の天候です。天候が悪化しないうちに滑ろうと早速着替えてゲレンデへ向かいました。昼食を取って、とりあえず山頂へ向かいました。我が春秋会スキー部は蔵王ではとりあえず山頂に向かいます。さすがに山頂は風もあり、気温も低く、過酷な環境でした。モンスターをチラ見して、視界の悪い中、ざんげ坂を滑って降りてきました。そこから、百万人ゲレンデ、横倉ゲレンデに向かいました。出発が上の台ゲレンデだったので、横に広い蔵王温泉スキー場でほぼ端から端まで行ったことになります、ロッジでの休憩を入れて上の台ゲレンデに戻ってくるともう午後4時を過ぎていました。その後、解散し、滑り足りない人はもう少し滑っていました。ホテルでは、温泉に入り、晩ご飯は山形牛のすき焼きでした。鍋奉行の差配により民主的に肉や具が配分され、つつがなく食事も終了しました。残念だったのは、うどんを追加しようとしたときに売り切れていたことでした。その後、飲み部屋で2次会が始まりました。ほどよくお酒も入り、懲戒が増えたなぁなどとディープな話も出るなどして盛り上がり、日付が変わる前にお開きとなりました。  2日目も天候は曇り、まだ保ってくれていました。夜に雪が降ったので、ふかふかの新雪です。少人数ということもあり、午前中はスキースクルに入る人など自由行動とし、お昼に集合することになりました。午後から黒姫ゲレンデに向かうことにしたので、またまた横への大移動です。中央ゲレンデのリフトをあがり、パラダイスゲレンデをリフトに乗るまでが最大の難関で、途中までは快適ですが、かなりの緩斜面になるためスキーは手でこぐ必要があり、ボードは片方の足を外さないといけないほどになります。スキーヤー、ボーダー全員が感じていることだと思いますが、何らの改善策は採られていません。無事黒姫ゲレンデに到着しました。時間がたっているので、ゲレンデは少しでこぼこになって、気を許すと板が取られる感じとなり、少し滑りにくくなっていました。また、リフトを乗り継いで上の台ゲレンデまで戻ってくると午後4時を過ぎていました。そこで、解散となり、年配組はだいたいホテルに戻り、若者組はまだ滑っていました。その晩は、山形牛のしゃぶしゃぶとなりました。昨日同様鍋奉行の差配により、つつがなく食事が終了しました。牛しゃぶ後の鍋でおじやをしたのですが、結構好評のようでした。その後のみ部屋で2次会となりましたが、早々にダウンしてしまったため、どんな話がなされたのか分かりません。起きるとお開きとなっていました。 3日目は、予想とおりの悪天候。横殴りの雪と強い風、蔵王の厳しい天候を目の当たりにしました。ゴンドラで上に上がれば少しはという期待もむなしく、ゴンドラを下りても吹雪。ときおり天候が回復かと期待を持たせるような緩やかな天候になるも、すぐに吹雪となり、ゴーグルが曇ったと思ったらそれが凍り付いて見えなくなるという悲惨な状態となり、ゴーグルを外すと雪をまともに受けてしまい、非常に寒く冷たい思いをすることになってスキーを楽しむというより、衝突しないかゲレンデを外れないか心配となるほどでした。そのため早々に断念し、天候の回復を待ちましたが、午後も相変わらずの天気模様で、帰宅準備に入りました。最終日は、バス停の近くの「きくち食堂」にてジンギスカンを食べることか慣例化しており、予約ができず、3時にはオーダーストップになるお店ですが、今年も無事に食べられました。 今年は最終日が悪天候で、いつもはいい天気のときに帰路となり、うらやましいという思いがありましたが、今年はかわいそうだなと思ってバスで仙台空港に向かうことになりました。が、高速道路が一部不通になったため仙台空港までは思った以上に時間がかかり、もう少しで予定の便に乗ることができないという状況になりました。ANAの方で宿泊用のホテルを準備しますと言ってくれたぐらいでした。それも少し期待しましたが、何とか間に合い、予定していた便に乗って大阪に帰ってくることができました。 今年は、参加人数が少ないなりに個人のスキルアップを図るなどできて楽しめました。来年はもう少し参加者を増やして賑やかにスキーに行きたいと思いました。今年の11月中には日程を決めて案内を差し上げたいと思っていますので、よろしくお願いします。